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作者: 猪头猪智慧 时间: 2013-7-1 19:35 标题: 村上春树式流行趣味指南
知乎上有一个问题:“村上春树及其作品的被误读得最严重的是什么?”最佳答案是:“把《挪威的森林》当黄书看。”这绝非偶然,村上在一次访谈中表示:收到过一位女读者的来信,她看完村上的小说突然很想做爱,于是凌晨五点跑在男友家把他摇醒,和他做爱。
你只是想装得有品位一点?请翻开《海边的卡夫卡》,把关于贝多芬的《大公三重奏》描述背下来。
“性爱导师”只是村上诸多功能中比较上不了台面的一项,作为古典音乐导师、意大利面狂热分子、马拉松痴迷者和公共知识分子的他,俨然已成一份流行趣味指南。
最新长篇《没有色彩的多崎造和他的巡礼之年》仅上市一周,村上就掀起一股古典音乐热。小说中对俄罗斯钢琴家拉扎尔·贝尔曼演奏的李斯特钢琴曲《巡礼之年》大为推崇,导致相关CD在日本脱销,且登上多家音乐销售网站排行榜首位。
如何表现得像专业人士一样鉴赏古典音乐?村上在20年前的《国境以南,太阳以西》中,传授过解读李斯特的“意会”法:“起初听起来似乎故弄玄虚、卖弄技巧,总体上有些杂乱无章,但听过几遍之后,那音乐开始在我的意识中一点点聚拢起来,恰如原本模糊的图像逐渐成形。每当我闭目凝神之时,便可以看见其旋律卷起若干漩涡。”
是的,即便你看五线谱像看天书,只要随手翻上几页村上,都能在最短时间内成为古典乐迷,对肖邦和莫扎特的代表作了如指掌。你只是想装得有品位一点?请翻开《海边的卡夫卡》,把关于贝多芬的《太公三重奏》这段描述背下来:“在贝多芬写的钢琴三重奏之中,这一支最伟大最有品位。作品是贝多芬四十岁时写成的,那以后他再未染指钢琴三重奏,大概他觉得此曲已是自己登峰造极之作了。”
同一本书中,村上还提供了利用古典音乐装逼的情景模式:开车时,用大音量听舒伯特的钢琴奏鸣曲,再若无其事向乘客介绍:“完美地演奏弗朗茨·舒伯特的钢琴奏鸣曲是世界上难度最大的作业之一。尤其这首《D大调奏鸣曲》,难度非同一般。单独拿出这部作品的一两个乐章,某种程度上弹得完美的钢琴手是有的,然而将四个乐章排在一起,刻意从谐调性这个角度听来,据我所知,令人满意的演奏一个也谈不上。”
至于因《1Q84》而大卖的古典音乐——雅纳切克的《小交响曲》,简直可以当做把妹利器。要知道,女主角青豆和初恋情人天吾,就是以这首曲子作为线索,在多年后的异世界里重逢的。
你需要一本西方音乐鉴赏入门?读读百度百科上的村上年表足够了。读《挪威的森林》,你知道如何欣赏摇滚了,听到披头士的音乐,“就要悲哀得不行,仿佛在茂密的森林里迷了路”;读《国境以南,太阳以西》,你知道该如何欣赏爵士了,把纳特·金·科尔的唱片放上唱针,空气似乎倒回了五十年代;读《世界尽头与冷酷仙境》,你知道该如何欣赏美国乡村音乐了,你会哼唱史琪特·戴维丝那两句歌词:“为什么太阳还在继续照耀,为什么鸟儿还继续歌唱,他们不知道吗?世界已经结束”;读《奇鸟行状录》,你该去听罗西尼的歌剧《鹊贼》,不懂没关系,村上也没懂:“我所知道的仅仅是其序曲的单纯旋律和离奇的剧名。”
如果持有“为活着而持续煮意大利面条,为煮意大利面条而持续活着”的信念,就能把意面吃得跟别人不一样。
劳伦斯·布洛克送给读者一个签名档:“如果我带着醉意出生,或许会忘掉所有悲伤。”同样是威士忌中毒者,村上则教些更实用的。比如《且听风吟》里那样,选择一家爵士酒吧,一口气喝五杯冰镇占边威士忌;比如像《世界尽头与冷酷仙境》里那样填满你的酒库:三瓶哈帕、两瓶野火鸡、两瓶杰克丹尼、一瓶顺风、一瓶四玫瑰,一瓶海格,最后是半打芝华士;比如结束一天的正确方式:“从电冰箱取出冰块,做了一大杯加冰威士忌,又放了少许苏打。然后脱衣上床,靠在床背上一小口一小口地喝起来。”
不仅仅是酒。你还可以成为一名像他那样的三明治鉴赏大师:“面包新鲜,富有弹性,用锋利洁净的切刀切得整整齐齐。其实制作好的三明治绝对不可缺少好的切刀,而这一点很容易被忽略。”三明治的材料则不必复杂:“芥末纯正地道,莴苣无可挑剔,蛋黄酱也属手工制作或接近手工制作。”
如何把意大利面吃得跟别人不一样,村上也有绝招。最要紧是持有“为活着而持续煮意大利面条,为煮意大利面条而持续活着”的坚定信念。村上苛刻地遵循着一条规律:意面该是一个人吃的东西,意大利面象征着某种独自生活的封闭。“假如知道1971年自己出口的东西是‘孤独’,意大利人势必大吃一惊。”
让我们看看《舞!舞!舞!》中提供的意大利面制作攻略:“把两头大蒜切得粗些放入,用橄榄油一炒。可以先把平底锅倾斜一下,使油集中一处,用文火来慢慢炒。然后将红辣椒整个扔进去,同大蒜一起炒,在苦味尚未出来时将大蒜和辣椒取出。这取出的火候颇难掌握。再把火腿切片放进里边炒,要炒得脆生生的才行。之后把已经煮好的意大利面倒入,大致搅拌一下,撒上一层切得细细的香菜。最后再另做一个清淡爽口的西红柿奶酪色拉。”接下来你要做的,只剩拍照发微博了。
村上的最装马拉松赛事大全:春天波士顿、秋天纽约市。
村上的长跑生涯和写作生涯几乎是同时开启的。1982年秋天,33岁的他决定以写小说为生,为了保持健康,他开始跑步,形成了“晚上一般十点就躺下早上六点起来天天跑步交稿从不推迟”的生活规律。
村上给长跑爱好者提供过这些线路:夏威夷的考爱岛自不用多说,“从东北方从不间断地吹来的信风,让夏威夷变得何等凉爽。”还有剑桥——“查尔斯河沿岸,延绵不断地辟有健身跑步专用的道路,只要你乐意,可以无休止地跑下去,跑好几个小时。”东京也可——“神宫外苑跑一圈是1325米,每隔一百米路面上就刻有标志,跑起来十分方便。
30年来,村上每天奔跑不止,即便是旅行的时候。“跑步时的速度极适合观赏风景,开车时看漏的地方也能闪入眼帘,而同走路观赏相比,消息量又大得多。”连迷路也可以成为一种情趣:在芬兰街头找不到回头路,“假如不在那里碰见热情的驯鹿母子,或者冻死都有可能”;在意大利中部迷宫般的古老城市,忘了下榻的酒店;在希腊街头跑时常被人叫住:‘老兄,歇一会儿喝杯Ouzo吧!”
如果你想参加马拉松,村上还能为你提供最装赛事大全。“春天波士顿、秋天纽约市的马拉松赛是我的美国生活中最大的乐趣之一。”30年中,他参加了世界各地33场全程马拉松赛,最中意的是6次波士顿马拉松比赛。
村上为他那些已经度过青春期、逐渐参与社会的粉丝提供更重要的东西:世界观。
即便三番五次强调对社会活动不感兴趣,从写作《地下》时,村上就已经不再只是小资的,更是公知的。
1995年,东京地铁发生奥姆真理教制造的沙林毒气袭击事件。村上从1996年1月开始,用了整整一年采访62名事件受害者,结集出版了《地下》,一年后又听取信徒的说法归纳成《约定的场所》。
2009年,村上以《高墙与鸡蛋》为题在耶路撒冷文学奖做演讲:“若要在高耸的坚墙与以卵击石的鸡蛋之间作选择,我永远会选择站在鸡蛋那一边。”几个月后,村上在《文艺春秋》的采访时表示,这句话源于对毒气事件的思考:“案犯当然是施害者,尽管如此,我在心底还是觉得他们也是鸡蛋,也是原教旨主义的牺牲者。我感到怒不可遏的,较之个人,针对的更是体制。”
这正是在生活方式之外,村上为他那些已经度过青春期、逐渐参与社会的粉丝提供的更重要的东西:世界观。“我们每个人或多或少都是一颗鸡蛋。我们都是独一无二,装在脆弱容器里的灵魂。我们每个人也或多或少,必须面对一堵高墙……请各位停下来想一想。我们每个人都拥有一个独特的,活生生的灵魂。体制却没有。我们不能容许体制践踏我们。我们不能容许体制自行其是。体制并没有创造我们:是我们创造了体制。”
来源:新周刊
链接:http://xinzhoukan.vip.blog.163.c ... 35274140361/?wenhua
作者: 水色 时间: 2013-7-1 19:55
调侃了一下村上君,味道没调好,辣不够辣,麻不够麻,只剩一点点酸。
作者: ironland 时间: 2013-7-1 20:41
呜呼,他的段子只记得超级饥饿感,这可如何用于装得有趣味呢?
作者: 施国英 时间: 2013-7-2 20:00
我无意中扫到《挪威的森林》的电影,特意看了,觉得很压抑的说,也许电影拍得不如小说吧,或者还有别的因素。
近20年前我读原小说,可是心潮膨湃,还立马写了自己的《二十岁的冬天》。变老是很可怕的事情。
作者: psyzjs 时间: 2013-7-2 20:11
阅读也好,生活也罢,都是很私人的东西。
作者: 施国英 时间: 2013-7-2 20:54
阅读可以分享,生活也可以分享,至于私生活,自己愿意拿出来分享没问题,但侵犯他人隐私权就不可以。
作者: kemingqian 时间: 2013-7-2 22:45
村上春樹名言
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完璧な文章などといったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね
There’s no such thing as perfect writing,
just like there’s no such thing as perfect despair
-『風の歌を聴け(Hear the Wind Sing)』
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ノルウェイの森(Norwegian Wood):
他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる
If you only read the books that everyone else is reading, you can only think what everyone else is thinking
-『ノルウェイの森』
自分に同情するな、 自分に同情するのは下劣な人間のすることだ
Don’t feel sorry for yourself, only assholes do that
-『ノルウェイの森』
孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友だちを作らないだけだよ。
そんなことしたってがっかりするだけだもの
Nobody likes being alone that much. I don’t go out of my way to make friends, that’s all.
It just leads to disappointment
-『ノルウェイの森』
死んだ人はずっと死んだままだけど、
私たちはこれからも生きていかなきゃならないんだもの
The dead will always be dead,
but we have to go on living
-『ノルウェイの森』
私たちがもともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね
What makes us the most normal is knowing that we’re not normal
-『ノルウェイの森』
死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的にすでに含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることができるものではないのだ
Death was not the opposite of life. It was already here, within my being, it had always been here, and no struggle would permit me to forget that
-『ノルウェイの森』
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
Death is not the opposite of life but an innate part of life
-『ノルウェイの森』
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海辺のカフカ(Kafka on the Shore):
思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。
でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます
Memories warm you up from the inside.
But they also tear you apart
-『海辺のカフカ』
あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、
ほかのすべての人に忘れられたってかまわない
If you remember me,
then I don’t care if everyone else forgets
-『海辺のカフカ』
目を閉じても、ものごとはちっとも良くならない。目を閉じて何かが消えるわけじゃないんだ。それどころか、次に目を開けたときにはものごとはもっと悪くなっている。私たちはそういう世界に住んでいるんだよ
Closing your eyes isn’t going to change anything. Nothing’s going to disappear just because you can’t see what’s going on. In fact, things will even be worse the next time you open your eyes. That’s the kind of world we live in
-『海辺のカフカ』
想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪(さんだつ)された思想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む
Narrow minds devoid of imagination. Intolerance, theories cut off from reality, empty terminology, usurped ideals, inflexible systems. Those are the things that really frighten me. What I absolutely fear and loathe
-『海辺のカフカ』
ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な“なにか”じゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。
Sometimes fate is like a small sandstorm that keeps changing directions. You change direction but the sandstorm chases you. Over and over you play this out, like some ominous dance with death just before dawn. Why? Because this storm isn’t something that blew in from far away, something that has nothing to do with you. This storm is you. Something inside of you
-『海辺のカフカ』
君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう
You really will have to make it through that violent, metaphysical, symbolic storm. No matter how metaphysical or symbolic it might be, make no mistake about it: it will cut through flesh like a thousand razor blades. People will bleed there, and you will bleed too
-『海辺のカフカ』
その砂嵐が終わったとき、どうやってそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかも確かじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ
Once the storm is over you won’t remember how you made it through, how you managed to survive. You won’t even be sure, in fact, whether the storm is really over. But one thing is certain. When you come out of the storm you won’t be the same person who walked in. That’s what this storm’s all about
-『海辺のカフカ』
幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ
There’s only one kind of happiness, but misfortune comes in all shapes and sizes
-『海辺のカフカ』
トルストイが指摘しているようにね。
幸福とは寓話であり、不幸とは物語である
It’s like Tolstoy said.
Happiness is an allegory, unhappiness a story
-『海辺のカフカ』
僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける。大事な機会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ
Every one of us is losing something precious to us. Lost opportunities, lost possibilities, feelings we can never get back. That’s part of what it means to be alive
-『海辺のカフカ』
僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ
In everybody’s life there’s a point of no return. And in a very few cases, a point where you can’t go forward anymore. And when we reach that point, all we can do is quietly accept the fact. That’s how we survive
-『海辺のカフカ』
世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。
求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ
Perhaps most people in the world aren’t trying to be free.
They just think they are. It’s all an illusion
-『海辺のカフカ』
もしほんとうに自由を与えられたりしたら、たいていの人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ
If they really were set free, most people would be in a real pickle. You’d better remember that. People actually prefer not being free
-『海辺のカフカ』
退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ
People soon get tired of things that aren’t boring, but not of what is boring
-『海辺のカフカ』
夢の中から責任は始まる
In dreams begins responsiblities
-『海辺のカフカ』
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